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>TOP>情報コーナー「周産期看護マニュアル」top妊娠前期>妊娠悪阻

book「周産期看護マニュアル よくわかるリスクサインと病態生理」
(中井章人著,東京医学社)より  (全体の目次はこちら)


I.異常・疾病からみたリスクサイン

1.妊娠前期(4週から14週まで)
のリスクサインと対応(一覧はこちら)

(1)妊娠悪阻

note概略

    1. 妊娠5週から妊娠8週に出現する悪心(吐き気、不快感)・嘔吐は「つわり」と呼ばれ、妊娠の成立に伴う生理的(正常)な変化で、全妊婦の50〜80%に出現し妊娠12〜16週ごろ自然に治る。母体に合併症を引き起こすことはなく、原則的に医療介入の必要はない。
    2. 「つわり」の症状が悪化し、脱水、栄養代謝障害などを来たしたものを妊娠悪阻といい、全妊娠の0.5%前後に発症する。栄養や水分を経口摂取できない場合や5%以上の体重減少、尿中ケトン体陽性の場合は本症の発症を疑う必要がある。
    3. 妊娠悪阻の重篤な合併症にビタミンB1欠乏から発症するウエルニッケ脳症がある。意識障害、小脳性運動失調などが出現し、50%以上で逆行性健忘、記銘力低下、作話を特徴とするコルサコフ症候群と呼ばれる後遺症を生涯残す。時に母体死亡に至る症例もあり慎重な管理を要する。
    4. 治療の原則は水分補給とカロリー確保で、経口摂取が可能な場合は、市販されているスポーツドリンクおよびカロリー補助食品を常用量の範囲で積極的に用いる。
    5. 経口摂取不能な場合は、絶食、輸液を行なう。この際、ビタミンB1(100 mg/day以上)の投与は必ず行う。
    6. 治療には生活および精神的な支援も重要で、家族、とくに夫のサポートが不可欠となる。

noteリスクサイン

リスク1:悪心・嘔吐.
リスク2:経口摂取不能.5%以上の体重減少.尿中ケトン体陽性.
リスク3:意識障害(失見当識、健忘、作話、傾眠、せん妄、幻覚).運動失調.黄疸、肝機能障害.

noteリスクサインへの対応

    1. 日常生活サポート
      1. 軽症であれば、便通の調節、適度な運動(40〜50分のウォーキング)などを行なう。
      2. 摂取カロリーが不十分な場合は、消費カロリーを減少させるよう安静が必要になる。

    2. 栄養サポート
      1. 重要な栄養素のビタミンB1の補給が大切になる。ビタミンB1が多く含まれる食物には強化米、小麦胚芽、乾燥酵母、豚肉、米ぬかなどがあり、可能な限り経口摂取に努める。
      2. においに敏感なことが多いので、さましたり、冷たい状態で食べられるものを摂取し、調理を家族に替わってもらうことも良い方法である。
      3. 十分な経口摂取がむずかしい場合、栄養のバランスにはあまり神経質にならず、好みのものや消化の良いものを少量ずつ、1日5-6回に分け取る。
      4. 脱水が一番問題になるため、食事が取れなくても、水分だけは十分に補給しておく。
      5. 水分補給とカロリー確保のため市販されているスポーツドリンク(吸収が良く電解質も補える)およびカロリー補助食品を常用量の範囲で積極的に用いることができる。

    3. 精神サポート
      1. 食事が摂取できないことは必要以上に心配しなくてよい。時期が来れば自然軽快するうえに、妊娠初期の胎児の栄養必要量は極わずかで、絶食でも輸液療法で十分補給可能である。
      2. 家族が病識を欠き、治療に協力が得られない場合には、妊娠悪阻は「つわり」と異なり病的な状態であり、胎児のみならず母体予後にかかわる疾患であることを理解してもらう。
      3. 精神的ストレスを解消するため、里帰りが有効なこともある。

note病態生理

 妊娠の成立に伴い増加するエストロゲン(卵胞ホルモン)、プロゲステロン(黄体ホルモン)、ヒト絨毛性ゴナドトロピン(hCG)が第4脳室底にある嘔吐中枢を刺激することにより発症すると考えられている。また、プロゲステロンの増加は消化管の蠕動運動を低下させるため、ガスが貯留しやすくなり、悪心(吐き気、不快感)・嘔吐の原因となる。
 人体では糖質(ブドウ糖:グルコース)が最も効率の良いエネルギー源になるが、妊娠悪阻ではこの糖質を十分に摂取することができず、肝臓、筋肉、皮下組織(脂肪)に蓄積されていた糖質や脂肪が分解(酸化)されエネルギーとして動員される。この分解の過程で肝臓からケトン体が産生され、血液を介し全身に輸送される。飢餓状態が進めばケトン体は過剰に産生され、尿中に出現する。こうした状態は(栄養)代謝障害と呼ばれ、妊娠悪阻の主たる病態と考えられている。
 さらに、代謝障害が増悪し血中や尿中のケトン体が高濃度になることをケトーシスと呼び、血液のpHが低下し、代謝性アシドーシス(血液が酸性になる)を引き起こす。その結果、肝機能障害を中心とした多臓器不全から、最終的には脳障害も発生し死にいたる場合もある。
 夫婦、家族間の問題、妊娠や分娩への不安など、患者の背景にある心理的な要因も本症を誘引、増悪させる。

note症状

    1. 第1期  悪心・嘔吐を主徴とする時期
      1. 嘔吐が空腹、満腹を問わず起こり、食事摂取が不能になる。
      2. 脱水症状(口渇、皮膚乾燥)が出現し、吐物に胆汁や血液が混じることがある。
      3. 体重減少、めまい、頭痛が出現する。
      4. 尿中ケトン体、ウロビリノーゲンやウロビリン、尿蛋白の陽性。

    2. 第2期  代謝障害による全身症状が現れる時期
      1. 著しい体重減少、口渇、皮膚乾燥が出現、尿量が減少する。
      2. 軽い黄疸、発熱、頻脈が出現する。
      3. 母体血液の電解質(Na、K、Cl)異常と蛋白が減少する。

    3. 第3期  脳症状、神経症状が現れる時期
      1. 肝機能障害と黄疸が出現する。
      2. ケトーシス、代謝性アシドーシスが出現する。
      3. 意識障害(失見当識、健忘、作話、傾眠、せん妄、幻覚)、眼振・眼球運動障害、難聴・耳鳴、小脳性運動失調など脳症状が出現する。
      4. 胎児死亡および多臓器不全による母体死亡にいたる場合がある。

noteウエルニッケ脳症とコルサコフ症候群

 ウエルニッケ脳症は、ビタミンB1欠乏による代謝性脳症で、慢性アルコール中毒に伴う脳障害として知られている。最近になり、産婦人科領域で重症妊娠悪阻に伴い発症することが報告され注目されている。
 嘔気、嘔吐からはじまり、意識障害(失見当識、健忘、作話、傾眠、せん妄、幻覚)、眼振・眼球運動障害、難聴・耳鳴・眩暈、小脳性運動失調、多発神経炎、発熱、頻脈・心肥大などが出現、昏睡に至る。神経症状は時に不可逆性で、死にいたることもあり、50%以上で逆行性健忘、記銘力低下、作話を特徴とするコルサコフ症候群を生涯にわたり残す深刻な合併症である。

note診断

 「つわり」が病的に増悪する状態を正しく評価し、適切な時期に医療介入しなければならない。妊娠悪阻と診断されれば、すみやかに専門医のアドバイスを仰ぎ、場合によっては入院管理が必要になる。

  1. 食事摂取不能
    経口栄養摂取が不能な場合、妊娠悪阻と診断する。特に、固形物に加え水分摂取が不能になれば、急速に脱水症状や代謝障害が出現する。

  2. 5%以上の体重減少
    妊娠前の体重と比べ5%以上の減少があると子宮内発育不全が増加するとの報告があるが、通常の治療で軽快するものであれば胎児には明らかな影響は認めない。

  3. 尿中ケトン体
    栄養状態の評価に最も役立つ指標である。陽性になれば悪阻と診断し、強陽性(2+以上)の場合は入院管理が必要になる。

  4. 血液一般、血液生化学検査
    脱水による血液濃縮によりヘマトクリット値が増加する。肝機能、腎機能の異常、ビタミンB1低値、甲状腺機能の亢進、ヒト絨毛性ゴナドトロピン(hCG)高値などを示す。

note治療

  1. 食事療法
    「つわり」が増悪傾向を示す場合、まず、食事の摂取方法を変更する。自分の好みに合った食物や消化の良いものを摂取する。空腹、満腹はともに悪心・嘔吐を増悪させるため、食事を頻回(5-6食)に分け、少量ずつ摂取する。食事が困難な場合は、スープ、ジュースなどをとり、水分補給とカロリー確保につとめる。

  2. 輸液療法
    第1期の妊娠悪阻になれば、尿中ケトン体が陰性化するまで、絶食、輸液を続ける。カロリー(ブドウ糖100 g以上:400 kcal以上)、電解質(Na、Cl 1〜1.5 mEq/kg、K 0.7〜0.8 mEq/kg)を補正しながら、1日あたり2000ー3000 mlを補液する。同時に水溶性ビタミン(B1、B2、B12、C)や肝保護剤を投与する。とくに、ウエルニッケ脳症の発症予防のためにもビタミンB1(100 mg/day以上)の投与は必ず行う。
    治療に抵抗し、第2期の症状が出現するか、絶食期間が長期におよぶ場合は中心静脈栄養を考慮する。しかし、中心静脈栄養は、血栓症のリスクが増大する可能性があり、慎重な対応が求められる。

  3. 薬物療法
    妊娠悪阻の発症時期が胎児奇形の臨界期に一致しているため、安易な薬物使用は避けるべきであるが、嘔吐が著明な場合は、中枢性制吐剤としてメトロクロピラミド(プリンペランR)を用いる。また、漢方薬では小半夏茯苓湯、半夏厚朴湯、五苓散などが用いられる。

  4. 人工妊娠中絶
    種々の治療に抵抗し、第3期の症状が出現する場合、最後の手段として人工妊娠中絶術を行う。しかし、ウエルニッケ脳症を発症した場合は、妊娠を中断しても神経学的後遺症が残り手遅れとなる。

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