病態生理
妊娠の成立に伴い増加するエストロゲン(卵胞ホルモン)、プロゲステロン(黄体ホルモン)、ヒト絨毛性ゴナドトロピン(hCG)が第4脳室底にある嘔吐中枢を刺激することにより発症すると考えられている。また、プロゲステロンの増加は消化管の蠕動運動を低下させるため、ガスが貯留しやすくなり、悪心(吐き気、不快感)・嘔吐の原因となる。
人体では糖質(ブドウ糖:グルコース)が最も効率の良いエネルギー源になるが、妊娠悪阻ではこの糖質を十分に摂取することができず、肝臓、筋肉、皮下組織(脂肪)に蓄積されていた糖質や脂肪が分解(酸化)されエネルギーとして動員される。この分解の過程で肝臓からケトン体が産生され、血液を介し全身に輸送される。飢餓状態が進めばケトン体は過剰に産生され、尿中に出現する。こうした状態は(栄養)代謝障害と呼ばれ、妊娠悪阻の主たる病態と考えられている。
さらに、代謝障害が増悪し血中や尿中のケトン体が高濃度になることをケトーシスと呼び、血液のpHが低下し、代謝性アシドーシス(血液が酸性になる)を引き起こす。その結果、肝機能障害を中心とした多臓器不全から、最終的には脳障害も発生し死にいたる場合もある。
夫婦、家族間の問題、妊娠や分娩への不安など、患者の背景にある心理的な要因も本症を誘引、増悪させる。
ウエルニッケ脳症とコルサコフ症候群
ウエルニッケ脳症は、ビタミンB1欠乏による代謝性脳症で、慢性アルコール中毒に伴う脳障害として知られている。最近になり、産婦人科領域で重症妊娠悪阻に伴い発症することが報告され注目されている。
嘔気、嘔吐からはじまり、意識障害(失見当識、健忘、作話、傾眠、せん妄、幻覚)、眼振・眼球運動障害、難聴・耳鳴・眩暈、小脳性運動失調、多発神経炎、発熱、頻脈・心肥大などが出現、昏睡に至る。神経症状は時に不可逆性で、死にいたることもあり、50%以上で逆行性健忘、記銘力低下、作話を特徴とするコルサコフ症候群を生涯にわたり残す深刻な合併症である。
診断
「つわり」が病的に増悪する状態を正しく評価し、適切な時期に医療介入しなければならない。妊娠悪阻と診断されれば、すみやかに専門医のアドバイスを仰ぎ、場合によっては入院管理が必要になる。
- 食事摂取不能
経口栄養摂取が不能な場合、妊娠悪阻と診断する。特に、固形物に加え水分摂取が不能になれば、急速に脱水症状や代謝障害が出現する。
- 5%以上の体重減少
妊娠前の体重と比べ5%以上の減少があると子宮内発育不全が増加するとの報告があるが、通常の治療で軽快するものであれば胎児には明らかな影響は認めない。
- 尿中ケトン体
栄養状態の評価に最も役立つ指標である。陽性になれば悪阻と診断し、強陽性(2+以上)の場合は入院管理が必要になる。
- 血液一般、血液生化学検査
脱水による血液濃縮によりヘマトクリット値が増加する。肝機能、腎機能の異常、ビタミンB1低値、甲状腺機能の亢進、ヒト絨毛性ゴナドトロピン(hCG)高値などを示す。